安養寺は、寛政年間には犬目村の甲明神社、御嶽社、天王社の別当寺でもあった 安養寺近郊の神仏たち

~ ちかくの神仏たち ~

※安養寺は頼鎭(慶安元年七月十七日徳川家より寺領十四石五斗御朱印を附せられる)が永和三年四月三日に死亡したとあるので、吉野時代に文化が発展していたものと思われます。当時は小宮領に属していました。寛永五年四月川村氏と前田氏に賜ったとあります。弘安十一年の年号がきざまれている石塔が今でも安養寺にあります。弘安十一年を正応元年とすれば、開山は、永和三年より八十九年前と云うことになります。江戸期には、甲明神、御嶽社、天王社の別当でした。旧記等は、天明年間火災、また1863年(文久3年)火災により堂字を焼失しましたが、以降、現本堂を再建しました。
※安養寺は、寛政年間には犬目村の甲明神社、御嶽社、天王社の別当寺でもあった。また、近くにある第六天神社・飯綱神社もそうである。
※安養寺の聖観音菩薩は、昔は下犬目の観音山から移された甲観音であると伝承を持つ。15センチほどの聖観音菩薩。観音像の台座には天保15年(1844年)の銘があります。頭上の宝冠は兜の様、もしくはこれが甲観音の名の起こりかもしれません。

①【八幡神社】  貞享四年(1687)九月十五日、法蓮寺内鎮守の神とし創立

八幡神社八幡神社

②【八幡神社】

八幡神社八幡神社

境内社に御嶽社、稲荷社がある。

③【虚空蔵菩薩】

虚空蔵菩薩虚空蔵菩薩虚空蔵菩薩

昔、虚空蔵山にあった寺が廃寺となり、虚空蔵菩薩は長楽寺本堂裏にある。現在、祠の中には勢至菩薩がのこっている。いまでもこの地(北の根)の住民たちによる信仰は続いていて毎年10月の初旬には、このお堂に集う。

④【不動堂】

不動堂明治初年頃まで、この付近に慈眼寺という真言宗の寺があったが、不動堂を残し廃寺になった。お堂の左には稲荷社の小祠がある。

⑤【山王神社】   今日でも山王さんの愛称で親しまれている。

山王神社山王神社

山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。今日でも山王さんの愛称で親しまれている。

⑥【神明神社】

神明神社社格:無格社、祭神:天照大神・大己貴命、創立年月日不詳、祭典例祭9/19

⑦【第六天神社 ・飯綱神社】

 第六天神社 飯綱神社 第六天神社 飯綱神社

昔、飯綱神社と安養寺は神仏習合の形となっていた。安養寺を当寺とする覚書きあり。飯綱神社は高尾山ゆかりの神社でもある。第六天神社は、昔は天王社ともいわれていた。

⑧【愛宕神社・勝軍地蔵】

平成21年11月 お陰さまを持ちまして、愛宕さまのお堂の屋根・お堂周りの改修が無事に完成しました。地元の講員の皆様のご信助のもと大変立派になりました。
11月23日に安養寺住職・副住職により開眼法要いたしました。
古くよりこの地を守り続け、これからもより一層この地・住民たちをご守護下さいますよう、皆様で日々手を合わせて行きたいと思います。

愛宕神社 勝軍地蔵愛宕神社 勝軍地蔵愛宕神社 勝軍地蔵

愛宕神社 勝軍地蔵愛宕神社 勝軍地蔵愛宕神社 勝軍地蔵愛宕神社 勝軍地蔵

火伏の神として崇められ信仰されている愛宕神の流れをくむもの。室町時代後期には、これを崇拝すれば必ず勝利を得るとして、その本地仏を「勝軍地蔵」(宝暦13年)とし、これを愛宕大権現と称して武門守護の神としても武家から崇拝されました。今は、1月と11月の23日に地元の愛宕講の皆が集まり御祈祷をしている。

⑨【八雲神社】

八雲神社八雲神社

拝殿は正面、奥行とも2間で覆堂がある。八雲神社は江戸時代まで牛頭天王社(ごずてんのう)とよばれていた。京都・八坂神社は牛頭天王社ともいわれ、疫病退散や邪気祓いに効験があるとされている。牛頭天王社は明治以降八雲神社と改称され、同時に祭神も、それまでの牛頭天王から須佐之男命に改められた。創立年月日不詳。

⑩【御嶽神社】(みたけ)

御嶽神社御嶽神社稲荷社

社格:村社、祭神:日本武尊、創立年月日不詳、犬目の七社を合祀する地域の中心的神社。境内社に稲荷社も祀る。昭和30年代中ごろまで、村内会や青年団を中心に毎年4月8日、盛大な祭礼が行われました。

⑪【馬頭観音】

馬頭観音

馬頭観音八王子で一番古い(元禄4年の作)で馬頭観音である。馬の無病息災を祈願し、亡くなった馬の冥福を祈るために供養塔を道端に建立したのが、馬頭観音信仰である。

⑫【庚申塔】

庚申塔庚申塔

庚申信仰が絶えた後も街道の道標として、集落の守り神、賽ノ神として世相の移り変わりを見つめてき。傷みが激しいが、彫られている神は青面金剛で道教の神、手が6本あり、弓矢を持つ。頭上に日、月、雲を配し、足下に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を刻む。道教と日本の古代神話、猿田彦の伝承が一つになったものである。明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を勧めた。現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。

⑬【甲明神社】(かぶと)

甲明神 甲明神

下犬目を東西に走る旧道の十字路をまっすぐに登ると、甲明神の鳥居が正面に現れる。明治の富豪関谷源兵衛が建立したものである。石段を登ると、狭い境内に4尺四方の拝殿がある。祭神は、前田・上杉軍の残した兜との伝承がある。甲ノ原バス停附近の畑に甲神社の鳥居や御飯塚がありましたが、鳥居は昭和50年頃、宅地開発のため神社近くに移され、御飯塚は地名のみが残っている。→天神宮(寛政9年と称)へ

⑭【祥雲寺(跡)】

祥雲寺跡曹洞宗寺院、義和和尚の開山。本尊東方薬師瑠璃光如来は犬目の「峰の薬師」とも称せられ,天正年間犬目村より観音寺に移転した。また、寛永年間(1624~44)御朱印薬師堂領5石を拝領する。

⑮【熊野神社】

熊野神社熊野神社熊野神社

本殿に精巧な彫刻がある。(寛政7年銘木刀)古くより雨乞いの神と称され、この犬目でも昭和10年代頃まで神社まで水を上げて雨乞いを行っていたそうです。

⑯【百万遍供養塔と地蔵菩薩】

百万遍供養塔と地蔵菩薩供養塔は宝暦4年と称し、百万遍念仏:7日間に念仏を百万回唱える仏事。信徒が円座し、大念珠を百回くり返しながら弥陀の名号を唱える法会。

⑰【神明神社】

神明神社神明神社

神明神社は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であり、神社本庁によると全国で5千社~1万8千社とも言われている。伊勢信仰に分類される神社は、全国2位(4425社)である。

⑱【観音山】

観音山東側に稲荷神社、西側に三峰神社の祠がある。

⑲【地蔵菩薩】

地蔵菩薩観音山の入口に地蔵堂がある。

⑳【御手洗の泉】

御手洗の泉昔より今日まで村が渇水時でも枯れる事のない泉、1.5メートル程の円形。